略年譜(兜太)

金子兜太は日本を代表する俳人の一人です。その表現の根源には秩父と戦時中に体験した生活があるとされています。これらのことから、俳句としての作品だけではなく自身の人生自体が、現在を生きる人間にとって貴重な歴史であるといえます。

金子兜太(とうた)の略年譜

大正8年 秩父に生まれる。
大正11年 3歳で、陸軍軍医だった父・元春さんの仕事で上海へ
大正13年 5歳で、日本へ帰国
大正14年 小学1年の夏休みから、元春さんの実家へ。その約1年後には元春さんがここに医院を開業。
昭和6年  高浜虚子に師事していた元春さんは、中学時代の同窓生だった水原秋桜子(しゅうおうし)と「馬酔木(あしび)」を主宰、
自宅で30人ほど呼び、句会を開くこととなり、兜太も参加。
昭和12年 旧制水戸高校へ進学。高校2年のとき、先輩に誘われて句会に参加、初めて一句読む
「白梅や老子無心の旅に住む」
昭和16年 東京帝国大学経済学部に入学。12月には太平洋戦争勃発。このころから、加藤楸邨(かとうしゅうそん)の「寒蕾(かんらい)」に投句をはじめる。
昭和18年 8月末に繰上げ卒業、日本銀行へ就職。ただし務めたのは3日間のみで、その後、海軍経理学校に短期現役士官(将校)として入校。
昭和19年 ミクロネシアのトラック島に中尉として赴任。ここでの壮絶な戦争体験がその後の生き方に影響を与える。
昭和22年 日本銀行に復職、皆子さんと結婚
昭和23年 眞土さん誕生
昭和25年 福島支店に転勤。その後10年、神戸、長崎などに転勤を繰り返す。
昭和31年 第一句集「少年」が現代俳句協会賞受賞、朝日新聞阪神版で、俳句選者を務めることとなる。
昭和35年 本店へ戻る。
昭和37年 俳誌「海程」を創刊
昭和49年 日銀を定年退職、1日2000本の句に目を通す生活を送る。
平成30年 2月20日永眠